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Sweet Afro Harmony

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http://www1.ttcn.ne.jp/Djembe/index.htm

大好きなアフリカンのダンスや太鼓を中心に書いていこうと思っています。
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フクシマ・メルトダウン追記。

2012/03/07 00:31
BBCでも似た番組が放映されました
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メルトダウンの内部事情 (Inside Japan's Nuclear Meltdown)

2012/03/05 23:32
画像


http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/japans-nuclear-meltdown/

2012年2月28日にアメリカのPBS(アメリカ合衆国の公共ネットワーク)が、福島第1原子力発電所の事故に関する番組を放映しました。

英語がわからない人にも英語がわからない人にも伝わったらいいな、と思い、勉強がてら日本語に翻訳してみました。(思ったより量があって大変でした)番組内では日本語でコメントされている部分が多いこともあって、すべてを文字にしているわけではありませんが、参考にしていただければさいわいです。

2012年2月28日 フロントライン

今夜のフロントラインでは、今世紀最悪の原子力発電所の事故の内部事情について報道します。現場に居た人たちが、実際におきていたことを証言します。

日本のみならず、世界中に影響を与える事故でした。木村さんは生き残った一人娘を守ることを決意しました。事故によって、人々の生活が放射能にさらされることになりました。原子力発電所の中で実際に起きていたことをお伝えします。

「3月11日は、職場にはのんびりとした空気が漂っていました。私はコンピューターを使って報告書を書いていました。3月11日以前に何度かマグニチュード4程度の地震が起きていました。多分2時46分頃だったと思いますが、信じられないようなひどい揺れを感じました。これまでに経験したことのないような強い揺れでした」

日本で記録を取り始めてから最悪の地震が福島第1発電所を襲いました。この原子力発電所を操業している東京電力は、地震の後、何が起きたのかを口外しないように作業員たちに命じていました。しかし事故から1年たって作業員たちが口を開き始めています。中には解雇を恐れて身元を明かさないように依頼した人たちもいました。

「壁に取り付けられていたパイプが外れてずれるのを見ました。地震はどんどん強くなりました。普通の地震ではありませんでした。私達は膝をついて手すりにつかまっていました。そして停電になりました」

作業員たちは冷静でした。なぜならば、日本の原子力発電所は地震に耐えられるように設計されているからです。原子炉は数秒内で自動的に停止しました。しかし、燃料棒の放射能レベルが高く、原子炉停止後も高い熱を発していました。燃料棒のメルトダウンを防ぐために、バックアップ電源のスイッチが入り、冷却装置が作動しました。
(4分1秒)
査察官のサトウタカシさんは、もうこの原発では仕事をしていません。「私は、原子力発電は安全だと考えていたので心配していませんでした。しかし、実際のところ、発電所は安全ではありませんでした」

漁師たちは次に何が来るのか知っていました。地震が起きたら次は津波が来る、といつも言われていました。「私はすぐに港に向かい船を出しました」

「彼は自分の船を救おうとしました。彼は何百年に一回という大きな津波に突っ込んで行きました。波が崩れる前に乗り越えようとしていました。津波は山のようでした。東から来た三つの津波を乗り越えました。約15メートルの高さのがありました」

最も大きな波は40フィート以上の高さがありました。そして時速100マイル以上のスピードで日本に向かってきていました。「うしろを振り返って海岸線を見ると、海の状態がおかしくなっていました。何かひどいことが起きているのはわかりました」

原子力発電所では、作業員の1人が撮影をしていました。同僚たちは高いところ逃げようとしていました。

そして3時35分に最も大きな津波が福島第1発電所を襲いました。この波は、原子力発電所の防波堤の2倍の高さがありました。

東京電力は、2009年に津波に関して適切な備えがないとする指摘を受けていました。東京電力は、災害が起きた際は指摘の内容について検討中であったとしています。

そして津波が原子力発電所を破壊しました。

「港が破壊されました。すごいことが起きたと感じました」

彼は上級原子力技術者で、現在も発電所で働いています。

「車や物置のような建物や5000トンの容量を持つ燃料タンクが波で流されました。私はそれらが少しずつ沈んでいくのを見ていました」

冷却のための非常用のディーゼル発電機のほとんどは、地下に置いてありました。それらは津波の水によって破壊されました。燃料棒のメルトダウンを防ぐ方法が失われたのです。

「非常用ディーゼル装置が機能しなくなったと聞きましたが、現実だとは思いたくありませんでした。びっくりしました」(8分27秒)

これは制御室で作業員たちが、半ばパニックになりながら白板に残した記録です。原子力発電所が機能不全に陥っていったことが書き留められています。

15時42分 非常事態が宣言。
15時58分 水位計が読めなくなる。
16時36分 緊急コア冷却システムが誤作動する。注水することができない。

東京電力は作業員に対するインタビューの申し入れは拒否しましたが、原子力発電所部門のmanaging directorへのインタビューは許可しました。彼は発電所がすべての電源を失うことが想定されていなかったこと認めました。
(9分49)
津波が起きてから90秒たち、日本は、未曾有の災害の対応に追われていました。首相は、福島第1発電所の冷却装置が作動していないことを知らされました。

首相は、福島の状態を常に自分の耳に入れさせるように命じました。このとき、原子力発電所の危機を管理していたのは、東京電力の東京本社でした。

津波が襲ってから2時間がたっていました。沿岸地域が破壊されていました。約2万人の人々が死亡または行方不明となっていました。

福島で農業を営む木村さんは、福島第1発電所から約2キロのところに住んでいました。彼は津波が来た時、外で作業をしていました。彼は家族を捜していました。生存者は地元のスポーツセンターに集まっていました。原子力発電所が危機的な状況に陥ろうとしていることには、まったく気が付いていませんでした。

「多くの人たちが集まっていました。私はそこで3人の家族が行方不明になっていると伝えました。寒く感じました。血が抜けてしまったようでした」

木村さんの父親が行方不明になっていました。妻も、そして末娘のゆなも行方不明でした。

「津波で亡くなったとは考えたくありませんでした。瓦礫の中を探しました。私の家の周りだけではなく、村中を探しました」夜になって日本政府は福島第1から2マイル圏内に住んでいるすべての人たちに避難命令を出しました。しかし木村さんや他の人たちは命令を無視して捜索を続けました。

原子力発電所では、まだ停電が続いていました。作業員たちには、原子炉の中で何が起きているのかを知る術がありませんでした。彼らは知恵を絞りました。

車のバッテリーを使って電源を復旧させました。かき集められたバッテリーで1号機の原子炉のモニターを作動させることができました。真夜中を過ぎる直前に圧力計を復旧させることできました。圧力計の数字はパニックを引き起こしました。

「圧力はどんどん、どんどん上がっていました。みんなが危ないと感じていました」

技術者たちは、燃料棒の温度が上がったことで、放射能を帯びた水蒸気と水素が原子炉内に充満していることを知りました。原子炉内の圧力が高まり、燃料棒に冷却用の水がかけられない状態になっていました。最悪の場合、原子炉が爆発する危険がありました。もしそうなれば、何十年ものあいだ人が住めなくなってしまいます。(14分43秒)

東京電力は、高い放射能を含んだ気体を大気中に放出しなければ、原子炉が爆発してしまう危険があることを理解していました。そのような最終手段を講じるには、首相の承認を得ることが必要でした。
(管元首相のコメントー日本語なので省略)
放射能は日本では常に神経を使う話題です。1945年にアメリカが広島と長崎に原子力爆弾を投下したために、何万人もの人々が被曝によって、また、被爆を原因とするガンによって命を落としました。

しかし、首相は放射能を放出する決定を下す以外の選択肢がないと感じていました。

(菅首相のコメント)

しかし、東京電力は、菅首相に黙っていたことがありました。東京電力は、電源が失われた状態で、ベントをしなければならなくなる状況を想定していませんでした。ベントのやり方がわかっていませんでした。

「ベント用のバルブは、モーターで駆動します。電源がなければ開きません。手動で開くことは困難です」

1号機の暗い中央制御室で作業員たちは、設計図を見ながら、どのようにして弁を解放するかを検討していました。手書きの記録を見ると、放射能レベルが高まっていたことがわかります。

「通常なら考えられない数値が出ていました。これは、原子炉の内部ではなく、事務所の中の放射能レベルでした。とんでもないことになっていました」

作業員たちは、その後、東京電力と首相が何ヶ月もの間認めなかったことが始まりつつあることを疑っていました。メルトダウンが始まったのではないかと。

「燃料が溶け始めていたのに気が付きました。マスクを取り出して足元に置きました。すぐに逃げられるように準備をしていました」

東京では、ベントの指示が出されてから6時間がたっていましたが、新しい情報は入ってきていませんでした。(17分36秒)

首相は、東京電力が何かを隠しているのではないかと疑い始めました。首相は自ら福島第1発電所に行くことにしました。首相は、後に、原子力発電所において緊急作業の邪魔をしたと非難されました。しかし、首相は自分の目で何が起きているのかを確認しなければならなかったのだと言いました。
(菅首相のコメントー日本語等なので省略)
福島第1原子力発電所で菅首相は技術者と直接対話をしました。彼は、原子炉のベントを行わなければいけないと主張しました。

「菅氏はとても怒っていました。政府はすでに指示を出しているのに、東京電力は何をしているのかと。でも、私たちはベストを尽くしていました。バルブはなかなか開きませんでした」

発電所の所長の吉田氏は、率直な人柄で知られていました。彼は、ベントの近くの放射能レベルが致死的な状態にあることを知っていました。しかし首相には、必要があれば特攻隊を送る、と伝えていました。
(菅首相のコメントー日本語なので省略)
自分の命令によって原子炉に向かった人が命を落とす結果になる可能性があることは、わかっていました。しかし日本の将来がかかっていると感じていました。
(菅首相のコメントー日本語なので省略。以下同じ)
しかし、東京電力は再びベントが延期になったことを知らされます。近隣住人たちの避難がまだ完了していませんでした。もし、原子炉のベントが行われれば、地元の人たちが非常に高いレベルの放射能にさらされることになります。

木村さんは娘とともに原子力発電所から2マイルのところにいました。木村さんはまだ父親と妻と末娘を探していました。彼は、選択を迫られました。その場から逃げるか、生き残った自分の娘を放射能にさらす危険を犯すか。
「うちの部落の区長さんが、原発はダメだと言いました。離れるように説得されました。残っている人のほうが、。。。。。。。。。。。死んだ人よりも大事だといわれて。」

3月12日の午前9時過ぎに、原子力発電所の近隣にいた村人たちがついに避難しました。

東京電力はついに、ベントのチームに内部に入るように指示しました。東京電力の記録によると、9時4分に2人の志願者が原子炉内部に入りました。「被曝する覚悟で、内部に入りました」

これは、東京電力が7ヶ月後に撮影したビデオです。放射能はまだ危険なレベルにありました。ベントのチームが作業をした場所が映っています。(日本語コメント)
「それぞれの作業員の原子炉内の滞在時間は17分に制限されていました。9分後に作業員はベントのためのハンドルを見つけました。作業員は少しずつバルブを開き、制限時間に達すると、次の作業員と交代する、というやり方でした。さらに4人の作業員が、作業を進めました。それぞれの作業員は、数分しか現場に滞在することができませんでした。
(コメント ― 日本語なので省略。以下同じ)(23分43秒)

その日の午後、薄い煙が出ましたが、それは、原子炉内部の圧力が下がっていることを意味しました。ベントを担当したチームが東北を破滅から救ったと思われました。福島の作業員たちは、最悪の事態を脱したのではないかと考えはじめました。(23分59秒)
(コメント)
ベントが終了したら、ただちに原子炉の内部への注水を行う必要がありました。突然、地面が揺れました。
「椅子から振り落とされました。誰も何が起きたのかわかりませんでした。地震ではないかと考えました。余震のように揺れていました。雷のようでした。」「吉田所長が、『第1原子炉が爆発したのか』と聞きました」

「みんなそれでパニックになりました」
技術者たちは、原子炉が爆発し、核燃料が、敷地にばら撒かれたのではないかと考えました。

制御室では、作業員が生き残ることができるかどうかを考えながら放射能レベルを見守っていました。
(コメント)
「もし逃げても放射能にさらされる」
1時間たって放射能レベルが安定しました。技術者たちは何が起きたのかを理解しました。漏れ出した水素が建屋の天井に溜まって建屋を吹き飛ばしましたが、原子炉自体は壊れていませんでした。
(コメント)
東京では、官房長官は危機的事態を軽く見せようとしていました。
(コメント)
首相と首脳陣は、後に、日本国民と世界に対して事態の深刻さを隠していたということで非難されました。水面下で状況がどんどん手に負えなくなっていくのを知っていました。

爆破によって原子炉内部に水を送る作業が遅れていました。核燃料が原子炉を溶かして大気にさらされ、最悪のレベルの放射能を大気中に巻き散らすのは、時間の問題になっていました。
(菅首相のコメント)
すでに原子炉から放出された核物質が日本全体に広がりつつありました。

政府は避難地域を拡大し、原子力発電所から20マイル以内に住んでいる人たち全員に対して避難命令を出しました。木村さんと娘は、このニュースが伝えられたとき、まだこの危険地域にいました。
(コメント)
(28分49秒)
原発では状況がさらに悪化していました。爆発によって1号機と2号機の注水の作業に大きな遅れが出ていました。3号機でもメルトダウンが始まっていました。東京電力は助けが必要な状態でした。自衛隊の特殊部隊が出動しました。3号機では水素が溜り、いつ爆発してもおかしくない状態でした。
(コメント)
自衛隊のイワクマ大佐と彼の部隊の隊員は、放射性物質から身体を守る防護服を着用していました。しかしこの防護服は生命に危険を及ぼすガンマ線を防ぐものではありませんでした。彼らの使命は、直接3号機に注水することでした。
「ジープから出て管をつなごうとしていたちょうどそのときに、爆発しました」
(コメント)
隊員たちは、生命に危険を及ぼすレベルの放射能を帯びた瓦礫に囲まれていました。彼らは爆発で怪我をしました。しかし、何とか致死量の放射能にさらされる前に現場から逃げ出すことができました。(30分58)
(日本語コメント)
原子力発電所の敷地内に完全に立ち入り禁止の場所が発生しました。原子炉近くには放射能レベルが一時間あたり1000ミリシーベルトを超える場所もありました。このレベルの放射線に1時間さらされると、放射能障害が始まります。数時間さらされれば死に至ります。

「中央制御室では、もうどうしようもないと言っていました。こっそりとですが、確かにそう言っていました」(コメント)

この夜、首相は嫌なニュースで起こされました。東京電力が作業員を原発から撤退させようとしている、と聞かされました。
(菅首相のコメント)
この瞬間、福島では、吉田所長が全ての作業員を集めていました。
「吉田所長は、『これから避難する』と言いました。所長は腹をくくっていました。死ぬ気だったと思います。しかし、250人を殺すことはできないので、帰宅しなさい、と言ったのです。できることは全てやり、もう他にできることはないので、帰ってくれ、と」
(コメント)
首相は、東京電力本社に向かい、完全撤退を止めさせようと考えていました。東京電力の経営陣に話す事を要求しました。そしてテレビ電話で福島にいる技術者たちと話をしました。
(菅首相のコメント)
今日でも、東京電力がやろうとしたことについては賛否両論があります。東京電力の経営陣は、完全に原子力発電所を放棄するつもりはなかったとしています。
(コメント)
この日の朝、吉田所長が率いる一部を除いて、ほとんどの作業員が撤退しました。残ったのは、後にFukushima50と呼ばれる人たちです。そして彼らは、中央制御室の中に閉じ込もりました。
「放射能レベルがバカバカしいくらい高い数値でした。何をすればいいかわかりませんでした。原子炉には誰もいませんでした」
何百人もの作業員は、数マイル離れたところで待機していました。原子炉内に水を送るためのパイプを設置する準備を整えていました。しかし、放射能レベルがあまりにも高く、作業員が近づける状態でありませんでした。アメリカの原子力専門家のチームがちょうど日本に到着しました。彼らは、東京電力と日本政府の策が尽きてしまうことを恐れていました。

「非常に少ない人数しかいないことが知らされました。余りにも人が少ないと感じていました。彼らは、そのときやるべきことをやる必要がありました」
その日、首相から与えられる情報の少なさに痺れを切らしたアメリカの専門家たちは、無人偵察機を原子炉上空に飛ばすことを決めました。彼らが受け取ったデータは、ショッキングなものでした。3回目の水素爆発で燃料プールに置いてあった多数の燃料棒が大気にさらされていました。

これらの使用済み核燃料は、まだ非常に放射能レベルが高い状態で、もしプールの水が蒸発して燃料に火が付けばメルトダウンよりもさらにひどい放射能汚染が広がることが予想されました。

「水が不足しているせいで、使用済み核燃料プールの中で核燃料が痛んでいっているのは明らかでした。日本人は日本人のことは心配していましたが、私たちはアメリカ国民の安全について心配していました。ですから何よりも、プールに水を入れなければならないと考えました」(37分17秒)

管首相は決死の手段を講じることにしました。空中から使用済み核燃料プールに水を落とす、というものでした。最初に注水を行った隊員は、チェルノブイリの事故の時にこの任務を遂行したロシア人が後にガンで亡くなったことを知っていました。
(コメント)
事前の調査は、放射線量があまりにも高かったために取り止めになりました。水を入れたタンクがヘリコプターに取付けられ、隊員をガンマ線から守るプレートも取付けられました。隊員は、地上300メートルの高さから、移動しながら放水しなければなりませんでした。高すぎれば水をうまく注入することができませんし、低すぎれば危険なレベルの放射性にさらされてしまうことになります。
(コメント)
ターゲットは眼下にありました。
(コメント)
作業の様子は、発電所から20マイルの地点に設置されたカメラから全世界に生放送されました。
(コメント)
しかし2度目は外しました。別のヘリコプターも放水しましたが、風が強く、的に命中させることができませんでした。アメリカの専門家チームがこの様子を見ていました。「私たちも放水によって放射能レベルがどう変わるか測定していましたが、放射能レベルは下がりませんでした」

アメリカ政府は、9万人のアメリカ人を日本から避難させる計画を立てました。すべてのアメリカ人に対して、原発から少なくとも50マイル以上離れるように勧告しました。

日本人の避難地域は12マイルとなっていました。アメリカの調査によって、原子炉内部で核燃料が非常に危険な状態で散らばっている可能性が指摘されました。つまり、原発に近づけば命を落とす危険があることを意味していました。こういった危険があるにもかかわらず、日本政府は東京の消防署隊員のチームに対して、どんな手段を講じても良いので、燃料プールに注水するように命じました。
消防団員は被曝の危険がある場所で作業をしたことはありませんでした。(コメント)
一名の隊員が一足先に出発して、経路を設定しました。彼は、被曝線量が上がりすぎたために、本番では他の隊員と行動を共にすることできませんでした。
(コメント)
隊員は海の近くに行くにポンプ車を置いて海水を吸い上げる計画を立てました。そして800ヤードのホースを設置して燃料プールへ連続して放水することにしていました。原子力発電所災害の最前線で映像の記録が取られていました。ここには消防隊員が原子炉に近づく準備をしている姿が映っています。

作業は16分以内に終わらせることにしていました。これ以上の時間をかけると、被曝量が上がりすぎてしまうからです。
(コメント)
放射能レベルを測定する車が消防隊員らを先行していました。数分後には、津波による瓦礫で先に進めなくなりました。隊員たちは手作業でホースを設置しなければならなくなりました。被曝線量を確認しながら作業を進めました。
線量計から発せられる警告の音は、放射能レベルが危険な状態にあることを知らせていました。 1時間後にやっとホースが繋がりました。
(コメント)
消防隊員が撤退した後に、放射能レベルが下がり始めました。消防隊員は帰途に着きました。消防隊の中にはいまだに家族に何をしていたのかを話していない人たちもいます。
(コメント)
放射能レベルが下がったので、東京電力はさらに作業を進めました。何百人もの作業員が待機して、継続的に原子炉に注水を行うためのパイプを敷設しようとしていました。放射能レベルが急激に上昇するような事態に備えて、素早く作業を終わらせる必要がありました。
「3月の時点で、線量計はしていませんでした。東京電力は放射能レベルが高い場所を明言していませんでした」
東京電力は、ほとんどの線量計が津波で流されたとしていました。しかし、それぞれのグループの中で必ず1名には線量計を着けさせていたとしています。
「緊急作業だったので、急いでいました。誰も文句を言わずに仕事をしました。ルールを破ることについては、誰も何も言いませんでした。パイプの敷設が終了し、原子炉内に安定して注水できるようになりました。何日間もの間、死の危険にさらされていた中央制御室の作業員たちが、希望を感じ始めました」
(コメント)
非常に困難で、危険を伴う作業がまだ数週間継続することが予測されていました。しかし、本当に危険な段階は脱しました。
(菅首相のコメント)
首相は後に退陣を余儀なくされました。このときの危機対応が誤っていたと非難されました。東京電力は、何百億ドルもの損害賠償金を支払わなければならならず、破綻しかかっています。原発を守るために戦った作業員たちは、不確かな将来に直面することになります。放射能に被曝することによって命を落とした人はいませんが、100人以上の人々が将来、ガンになる可能性の高まるレベルの放射能に被曝しています。
(菅首相のコメント)
福島第1のメルトダウンで放出された放射能によって、東北の広い地域が汚染されました。10万人以上の人々が降り注ぐ放射能から逃げだしました。木村さんは、白馬に逃れました。山を挟んだ反対側でなければ、娘が放射能の危険から逃れられないと感じています。津波から何週間も経ってから妻と父親の遺体が収容されました。しかし、末娘のゆなは、まだ見つかっていません。地震の4ヶ月後に、木村さんは福島に戻りました。

発電所から12マイルの地域はまだ立ち入り禁止区域となっています。

持ち主に捨てられて餓死した動物たち。野生化している家畜たちもいます。汚染があまりにもひどいため、今後、何十年もの間住むことができない地域もあります。原子力発電所からわずか2マイルの地点で津波で亡くなった人たちの法要が営まれています。

木村さんにとっては、残さなければならなかった家族に別れを告げる場となりました。

「あなたたちが突然いなくなって4ヶ月になります。どうしてこんなことになったのか、いろいろ考えてきました。いつかまた、この場所に戻って、あなたたちを奪った海を見ながら、生活したいものです。それがいつになるのかはわかりませんが、必ず戻ってきます。遺族代表木村ノリオ」

感想
この番組はセンセーショナルではありませんが、トーンを押さえていることに好感が持てて、とても良い内容だと思います。私は事故の直後に対応に当たってくださった方々に対して、強い感謝の念を持ちました。事故の後、5,000円を寄付した以外に何も具体的な行動は起こしていませんでしたが、この翻訳をすることで、少し罪滅ぼしができたように感じています。
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西アフリカは、やっぱり良いところだと思う。

2012/02/16 00:14
今日、仕事の合間にカナダのコンピュータソフトの会社のCEOと雑談した。15年前に、一年間、西アフリカに滞在してた経験を話してくれた。車で友達とサハラを横断したりしてすごく危ない目に会ったけど、素晴らしい体験ができたって言ってた。

世界の最貧国だけど、自分の住む北米よりも、精神的に豊かな生活をしていると感じたことがあった。人が温かくて大好きだった、と言ってくれた。

ジェンベという太鼓に関わって、「ジェンベ自体が下火かな〜」と思う今日このごろ。でも、あの土地にしかない、心に染みこむ温かみのようなものがあるから、架け橋的な役割を、いつか、無理のない程度にやっていけたらな、という気持ちに、なりましたよ!!!

太鼓に関係ない人の意見って、参考になる。

そのカナダ人は、マラリアになり、何キロも痩せて、自分の息子が同じような旅行をすると言い出したら、「絶対止める」と思うほどのことだったそうです。ハイリスク+ハイリターンも良いけど、旅行に命を賭けるのは、親不孝だと思う(苦笑)。その人、そもそも、フランス語ができたからね。興味がある人には、誰かがオーガナイズするツアーに参加することをお勧めします。

私の方では、今は、動くつもりはないので、今年、来年あたりを考えている方は、ゆみちゃんとテオドールのオーガナイズしているワークショップに参加すると良いと思います。

African dance & Drum Music School In Guinea Conakry/Theodore Bah
http://guineacultureschool.blog.fc2.com/

3月12日からだそうです。
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愛とバスケットのために ー デラウェアで輝くスター

2012/02/14 23:16
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For Love And The Game, A Star Shines In Delaware
http://www.npr.org/2012/02/08/146514859/for-love-and-the-game-a-star-shines-in-delaware
It's a touching story I heard on the NPR


英語の学習2


英語を学習している人、英語力のメンテナンスをしたい人におすすめの教材第二弾。あまりにも素敵な内容なので、日本語訳を付けてみました。学習したい人は、訳を読まないで、英語を聞いてみてください。おすすめ度は95点。自分が泣きそうになったから(笑)

なお、日本語は読みやすさを重視して、かなり意訳しています。

ミッド・メジャーの大学バスケットボールチームに関する、かなり珍しい話です。ミッド・メジャーとは6つのメジャーな大学のカンフェレンス(大学のスポーツリーグ)に属していない下位の大学を指しています。男子の場合は全米大会でミッド・メジャーの大学がファイナル・フォー(準決勝)に勝ち残ったことがありましたが、今年は女子のミッド・メジャーのチームがファイナル・フォーに名乗りを上げる可能性があります。

このチームの立役者となっているプレーヤーのお話です。

ちょっと想像してみて欲しいのですが、全米で、いえ、多分で全世界で実力ナンバーワンの高校生の選手が、大学から素晴らしい条件を提示されているにもかかわらず、それを蹴って、そのスポーツさえもやめてしまう、なんてことがあるでしょうか?。。。。普通はありえませんね。

けれども、それをした選手がいるのです。エレナ・デレ・ダンです。姉のもとを離れたくない、という理由でした。

エレナは素晴らしい才能に恵まれていますが、その一方で、姉のリッツィー・デレ・ダンはほとんど身体的な喜びを感じることができません。姉は生まれつき盲目で、聴覚もなく、脳性小児麻痺です。姉が認識できる人間は妹だけです。さわり方、抱きしめ方、キスの仕方、そして匂いで妹を認識します。リッツィーは今27歳です。彼女がこの残酷な運命を克服する日が来ることはないでしょう。

4年前にエレナは、期待の新人としてコネチカット大学に行ったのですが、2日間滞在しただけで故郷のデラウエアに戻りました。優秀な彼女は、コネチカット大学を何度も優勝に導き、数々の栄光を手にしたはずでしたが、そんなことは自分にとって意味がない、と結論付けたのでした。姉、リッツィーに愛を伝えることができるのはこの世に自分だけであり、姉のそばを離れてまでバスケットボールを続ける必要はない、と考えたのでした。彼女はニューアークに近い地元の州立大学に入学しましたが、1年間はバスケットボールから離れていました。

現在三年生のエレンは得点王であり、全米で最も優れた大学生選手です。そしてエレンがプレーするミッド・メジャーのデラウエア大は、今年はランク八位のメリーランド大との一戦に敗れた以外は全勝しています。デラウエア大は現在ランク第12位です。

エレナは6フィート5インチ(195センチ)ですが、ガードのようにプレーすることができます。高校時代に80回連続でフリースローを成功させたことがあります。

去年の夏に中国で行われた世界大学バスケットボール大会では、スター選手として米国チームを優勝へと導きました。エレナは得点、リバウンドだけでなくスリーポイントでもチームでもっとも優れた成績を残しました。

大学からの勧誘があまりに強烈だったために、逆にエレナにとってバスケット以外の大切なものが何なのかが鮮明になり、一度はバスケットに対する情熱を失いました。

今までにこんな選手の話は聞いたことがありません。強いて言えば、ラリー・バードでしょうか。ラリーは高校卒業後、インディアナ大学に入学しましたが、一年生の時に退学して故郷に戻り、ゴミ収集の仕事を経て、小さな、ミッド・メジャーのインディアナ州立大学に入学し、この大学を全米大会の決勝戦へと導きました。とは言え、バードはもともと、それほど将来を嘱望されていた選手でもありませんでしたし、最初の大学を去ったのはホームシックにかかったのと、大きな大学で居心地の悪さを感じたからでした。

エレナの場合は居心地の悪さの問題ではありませんでした。彼女は人生と愛について考え、自分をもっとも必要とする人に寄り添いたい、という気持ちから決断を下したのでした。

おわり

エレナさん、きれい。

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ヨーガのリスクと効能に関するポッドキャスト

2012/02/09 19:24
http://www.npr.org/2012/02/07/146463156/the-risks-and-rewards-of-practicing-yoga
"The Risks And Rewards Of Practicing Yoga"
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If you are interested in Yoga, this podcast will be good to check out.

アメリカのヨーガ事情を扱っている英語のポッドキャスト。ヨーガによるケガの話を含む興味深い内容です。

ヨーガは、アメリカに紹介された当時は性的なイメージが強かったそう。最近では、ヨーガをオリジナルのままに保つのではなく、より安全に改善しようとしている人たちもいて、変化しているようです。ヨーガの効能についての科学的な分析はまだ始まったばかりで、研究が進むにつれて、30年から40年後には、治療の一部として定着する可能性もあるのではないか、とのこと。

私は仕事のために、普段から英語に触れるようにしていて、特にポッドキャストを良く利用しています。「英語を上達するにはどうしたら良いですか?」と聞かれることがあるので、「お勧め」と思えるポッドキャストを見つけたらご紹介していきたいと思います。私の場合は、英語のままで聞いて理解して感動したときに「ああ、外国語を勉強していて良かった」と感じるので、皆さんも興味深い話に触れると英語の勉強が楽しくなると思います。

この話は、英語のトランスクリプトがあるので(英語に書き起こされている)、学習にはうってつけ。初心者にも上級者にもお勧めします。

お勧め度は70点。(100点満点中)。英語が初級で、ヨーガにも興味のない人は、パスしていい内容かな。そのうち、おすすめ度100点のプログラムも紹介します。

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Awesome experience with students 極上の一日!at Meitoku

2012/01/18 11:22
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去年の11月9日にカバケイタと私が千葉の明徳短期大学でやらせてもらった授業風景の写真をフェースブックにアップロードしました。カサという曲をテーマにして、午前中はギニアの説明、リズム、踊りの練習をしました。午後は10人ぐらいのグループに分かれて、創作ダンスと演奏を発表してもらいました。

「アフリカ人のカバが来る」ということで、皆さんこの日を楽しみにして下さっていたとのこと。なんともカワイイお面を作って私達を迎えてくれました。140人という大人数でしたが、みんなで楽しい一日を作ることができました。

Facebookの写真はこちらから!
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.212651068826265.49569.160931867331519&type=1
短大のブログの記事はこちらから!
http://chibameitoku.blog53.fc2.com/blog-date-201112-4.html

この授業の発起人は田中先生なのですが、以前、コンタクトインプロのイベントで知り合いになり、つながった方です。私のワークに参加してくれて、「是非、うちの短大で授業をやって下さい」と申し出てくれました。

日頃、太鼓のワークショップはやっていたものの、大人数の学生さんを相手にした経験はなかったので、自分でも何ができるか未知数でしたが、こんな無名の私にオファーして下さったことに感激してお引き受けしました。たくさんの楽器を用意して下さったり、アフリカの布で装飾して下さったり、「一緒に楽しい日にしよう」と全面的に協力して下さった先生方がいらしてこその成功だったと思ってます。ありがとうございました。

その後、田中先生からは、写真、ビデオ、感想文なども送って頂きました。学生さんたちの生き生きとした楽しそうな表情を見るたびに、私も幸せな気持ちになります。笑顔がキラキラしています。
(ビデオも編集してアップロードしようと思っています)そして、田中先生からは私たちの授業のあと、生徒さんたちが変わった、と言ってもらえました。

去年の11月のイベントなのに、なかなか写真をアップロードしなかったのは、このイベントをキッカケに、自分の中で起きた変化を文章にしたいと思ったからです....ワークはお休みすることに決めました。

私が練習会を始めたのは2005年3月で、その後ワークにかたちを変えて、太鼓の集まりを5年以上継続しました。(途中でケガ、旅行などで休んだり、アフリカの人が先生だった時期もありますが)

最近、「ワークで教える曲をちゃんと練習する時間」が取りづらくなってきたのと、「一度やった曲をまた繰り返したくない」という気持ちがあって、「ワークは、どうしよう?」と考え始めていました。ただ、「途中で止めるのは負けだ」と思っている自分もいました。明徳短期大学で皆さんに喜んでもらえて、これまで地道にワークで積み重ねてことが全て役に立ったと思えました(出来過ぎかもと思えるくらいです)。また同時に自分のワークでは「今の自分にできることは、もうやりつくした」という感覚が強まりました。カバ・ケイタに、「一緒にバンドをやろう」と言ってもらえたことも、励みになっています。「リズムを伝える人」で留まるのでなく、「演奏を聞いて楽しんでもらえる人」になることを、新たな目標に設定しました。

◯ これまでの主な活動
2005年3月 ファムドゥの音楽の練習会開始
2005年10月  サイオン・カマラ(ギニア人ドラマー)のワークを主催
2005年11月  練習会仲間と「防災まちづくりイベント」に参加
2006年9月  サイオンカマラのワークを主催
2006年9月  ソロケイタ(ギニア人ドラマー)のワークを主催
2006年10月  練習会からワークショップに変更
2007年9月  ソロケイタのワークを主催
2008年5月  米国のシカゴとローチェスタニューヨークで行われたファムドゥ師のワークに参加
2008年6月  女性グループ「ランダヤ」で長瀞キャンプ村で行われててのひら祭で演奏
2008年11月  ソロケイタのワークを主催
2008年11月  友人たちと共に アフリカン・ダンス・アンド・ドラム・カンフェレンス Vo1を開催する
2009年4月  福島の山地民族さんところでワークショップを開催。ライブパフォーマンスにも参加する。
2009年5月  女性グループ「ランダヤ」で府中のけやき音楽祭で演奏
2009年9月  カナダ、カルガリーとアメリカ、シアトルでドラマーの人たちと交流する
2009年9月  ソロケイタのワークショップを主催
2010年7月  ワークの参加者とともに「音楽の花束」で演奏
2010年7月  新井英夫さんを迎えて野口体操の会を開催
2010年7月  板橋区の施設「ふれあい館」で演奏
2010年11月  カラモコ・カマラさん主催のコナクリウエルカムで司会をつとめる
2010年11月  ソロケイタのワークショップを主催
2011年1月   カナダの打楽器奏者パトリック グラハム(Patrick Graham)さんのミニワークを主催
2011年3月  新井英夫さんを迎えて野口体操の会を開催
2011年3月  アラマタ・コンデのダンスワークショップを二回主催する
2011年8月  香港のクラブイベントで友人とともに演奏する
2011年9月  カバ・ケイタ (ギニア人ドラマー)のワークショップやコン
2011年10月 岐阜県で演奏
2011年11月 明徳短期大学にて、一日特別授業を行う。
2011年11月 ドラムカウで演奏
2011年12月 会社のクリスマスパーティで演奏。
2012年〜 ワークショップをお休みにする。


◯ これまでワークに来て下さった方々、いろんなかたちで私にサポートしてくださった方々に、心から感謝しています。学生さんたちの笑顔に、参加してくれた人たちの楽しそうな姿が重なります。ワークは一旦終わりますが、また、ときどき練習会で復活しようかな、と考えています。1996年に初めて西アフリカで太鼓やダンスを体験して、「この音楽をたくさんの人に楽しんでもらいたい」というインスピレーションを感じました。ワークのために使っていた時間が浮いた分、成長して、もっとステキなことができるように、がんばります。現在ギニアに居るカバ・ケイタがまた日本に戻ってきたら、ライブやワークなどで、楽しい時間をお届けしたいと思っています。
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2012年もよろしくお願いいたします。

2012/01/07 22:35
みなさま、明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。
本年も音楽を通して、たくさんの方々と楽しく関わっていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
A happy new year, everyone.
I performed in a company X'mas party last year and won a notebook PC as a prize!

ちょっと自慢話です(笑)。
去年の12月に派遣先のコンピュータの会社でクリスマスパーティーが行われました。六本木ヒルズの高層階で行われるし、もちろん参加費も不要だし、ちょっと楽しみにしていました。招待メールには「ドレスアップしてきた人には賞品が与えられる」と書いてあり、「お父さん犬の着ぐるみとか、着てみたいな....でも、わざわざ買うお金もないし?」なんて思っていました。頭に少し「アフリカン」とか「太鼓」が浮かんだけど、あっさり打ち消していた…はずでした。

前日の午後になって急に、「なんのために15年も太鼓やってんだ!こういうときの為ではないか!」と気付く自分(笑)。今回はクラブ風のパーティで、DJも入るらしいから、「太鼓を持ち込んで、賞を取りに行く」と決意!社内の数名の友人たちに、応援してね、とお願いしました。我ながら着火点が予測不可能(笑)。
当日は、衣装が「よく似合う」と褒められるなど、皆様に温かく見守ってもらいました。(いい会社だな〜)。自分としては、みんながほろ酔い加減で軽く踊ってるところに華を添える感じで太鼓叩く、っていうイメージだったのですが、雰囲気はクラブ風ではあるものも、音量が控え目だったせいか、ほとんど誰も踊ってない中で演奏開始。

叩き始めたら、半円形に囲まれて、見ている人たちに楽しんでもらっていることを実感。すごく嬉しいけど、あぁ、どうしよう、そんなにじっくり見てもらうほどの芸でもないし、どうやって引っ込もうかぁ、、、と、思わぬ事態に、とりあえず作り笑いを浮かべました。 ノリのいいお兄さんが、「ちょっと貸して」と来たので、二つ返事で太鼓を貸してあげて私のパフォーマンスは終了。ε-(´∀`*)ホッ。直後にヒルズから苦情が入ったとのことで、再登板はなし、でした。ヨカッタカモ?
そして、賞、ゲットしました!!!なんと、ノートパソコン!ああ、芸は身を助く!サスガは自分。自画自賛って爽快!さあ、皆さんも私と太鼓を練習しましょう…と言いたいところなんですが、現在、5年ちょっと続けていたワークショップは、思うところがあり、お休み中。こちらは、あらためて文章にしたいな、と思っています。

最後まで読んでくださってありがとうございます。今年も皆さんにとって素晴らしい年になりますように!
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クリスマスパーティー      

2012/01/04 20:39
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ギニアのおもひで 2. アフリカン・ダンスの王道。バレエアフリカ

2011/08/16 01:42
Ballet Africa dansers at Center Culturel Franco Guineen on July 13 2011



コナクリで行われたコンサートで、バレエ・アフリカの人たちのダンスを見て、衝撃を受けました。来日公演は見たのですが、もう10年以上も前のことで。

彼らのダンスを見ていて、涙が溢れそうになりました。小さいYouTubeの映像で見なおしても、やっぱり、泣きそうになります。

ここまで来ると、感動なのか、単なる条件反射になってしまったのか、自分でもわかりません(笑)
何か感じた人は、こんな素敵なダンサーがいることを友達に教えてあげてくださいね。

さて、次の日に、バレエアフリカの練習風景を見に出かけたのですが、あいにく練習はお休みでした。男の人が何人か居て、うち、一人は、ディレクターで、ビデオを見せてあげたら、大喜びでした。そして、「新作ができたから、これから、世界ツアーに出ることを考えている」とのことでした。もし来てくれたら、必見でしょう!インターネットに映像をアップすることについては、快諾してくれました。。

写真の真中に写っているオジサマ、なんと、あの竹馬の中に入っているそうです。仮面ダンサーって、みだりに、正体を現してはいけないのでは?と思ったのですが、まあ、バレエだし、本人が誇らしげだったので、写真載せときます。キリッとした、素敵なオジサマです。

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ギニアのおもひで 1. 帰国日

2011/08/15 13:36
直近の出来事がイチバン印象深いので。。。

くろーく焼けて、いかにも、アフリカに居ました、的ないでたちで、天然アフロ(笑)をなびかせて成田に到着。

私よりかなり若そうな税関職員が、嬉々として、「お荷物あけさせていただいていいですか?」
と聞く。

そんなに怪しいか?
マニュアルに、こんな人に注意、と書いてあるのか?
止められたことは前にもあるけど、薬物持ち込む人が、「いかにも!」なファッションするか?
そんなにアホに見えるか?

スーツケースの内側を探って、何か隠されてないか真剣に探す職員。

あ〜あ。私も、いつも一緒に太鼓を叩いてくれたたドラマーたちも、タバコや薬物も無縁の人たちなのにな〜、と馬鹿らしくなる。

「私、薬物とか嫌いですから」と思わず、説明。
「犬がいるといいですね」と、改善案まで提案してしまう。

ターミナルが2つあるから、麻薬探知犬に常駐してもらえないみたい。

つづく (かもしれない。。。)
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アラマタワークに参加してくれた皆様、ありがとうございます。

2011/04/03 12:26
1回目は11名、二回目は9名、
と、来日して間もない、まだ無名のアラマタのワークに来てくださった皆さん、ありがとうございました。

二回目だった昨日は、ダンサーのアブドゥ・バイファルさんが遊びに来てくれました。アブドゥは太鼓も上手なので、演奏全体がピシッと引き締まって、いい感じになりました。

曲目は、先週に引き続いてマンジャーニ。ワークの終わりに、アラマタがドゥンドゥンバを踊りました。
村の伝統、というと、そもそも、男の人のためのリズムなので、どんな振り付け?
と思ったのですが、そこは、バレエスタイルの振り付けでした。

でも、今まで見たどの女性ダンサーのドゥンドゥンバよりも、しっかり音楽に乗っていて、長い手足がより長く見える、とてもエレガントで美しい踊りでした。

一度目も二度目も、たくさんの人たちが眼を輝かせて「楽しかった」と言ってくれました。アラマタは何か特別なことをしているわけではないのですが、ずっと、前で踊ってくれます。良いダンサーは、前で踊ってくれるだけで、一緒に踊っている人が楽しくなる、ということなのだと思います。

少女の頃しか知らなかったアラマタが、こんなにキレイに踊れるようになっているなんて、とあらためて感動しました。

前回のmixiの日記では
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1696864462&owner_id=1646375
、秘かにブー垂れていたのですが(苦笑)、今は、アラマタのお手伝いできて良かったな、という気持ちでいっぱいです。

参加してくださった方々、ドラマーの方々、これからもよろしくお願いします。
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12月15日 BBCラジオ アンジェリーク・キジョー

2010/12/24 21:51
アンジェリーク談

アフリカの女性がシンガーになる夢を叶えるのは難しい。伝統音楽においては、男も女も過去、現在、未来を橋渡しする人間として尊敬されており、人々の結束を強める役割を担っている。しかし、いったん伝統音楽の外に出ようとすれば、強い偏見にさらされるとこになる。西洋から持ち込まれた、ドラム、キーボード、エレキギター、ベース、マイクを使った音楽は、セックス・ドラッグ・ロックンロールを連想させ、邪悪な音楽と位置づけらていた。(幸運なことに、私のファミリーは、文化、スポーツ、教育がを重んじていたから、家では何も問題はなかった)

六歳から歌を始めたので、子供のころは、「キュート」と受け止められていたけど、ティーンになったら、周りの態度が変わった。私は売春婦と同等に蔑まれ、石を投げ付けられた。

今では、あからさまに差別をされることはないけれど、男たちは未だに、まるで肉切れを見るような眼で私を見る。

私にはゴールがあったから、それに向かって行き、ずっとそうしてきました。
http://www.youtube.com/watch?v=haQz9dCoZ3E&feature=related
Youtube Mallaikka

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アンジェリーク・キジョーは1960年生まれで50歳くらいなので、現在はその頃と比べると、女性アーティストに対する差別はそこまで酷くはないかもしれませんが、アンジェリークが熱く語っていたので、アフリカのこと、音楽のこと、理解するヒントになったらいいな、と思ってBBCのインタビューを聞き取って翻訳してみました。。。

私は、特にファンではないのですが、ワールドカップのときの映像を見ると凛としてかっこいい人ですね。自分で訳して言うのもなんですが、そういうバックグラウンドを知ってから聞くと、さらにステキに見えます

この放送が行われたころ、アンジェリークは、ワールド・フェスティバル・オブ・ブラック・アーツ・アンド・カルチャーでセネガルに滞在していたそう。ギニアにドップリの私からすると、そういうイベントをやっているセネガルがますます輝いて見えます。。。もちろんギニアも好きだけど。
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12月15日 BBC アンジェリーク・キジョー

2010/12/24 21:40
アフリカの女性がシンガーになる夢を叶えるのは難しい。伝統音楽においては、男も女も過去、現在、未来を橋渡しする人間として尊敬されており、人々の結束を強める役割を担っている。しかし、いったん伝統音楽の外に出ようとすれば、強い偏見にさらされるとこになる。西洋から持ち込まれた、ドラム、キーボード、エレキギター、ベース、マイクを使った音楽は、セックス・ドラッグ・ロックンロールを連想させ、邪悪な音楽と位置づけらていた。(幸運なことに、私のファミリーは、文化、スポーツ、教育がを重んじていたから、家では何も問題はなかった)

六歳から歌を始めたので、子供のころは、「キュート」と受け止められていたけど、ティーンになったら、周りの態度が変わった。私は売春婦と同等に蔑まれ、石を投げ付けられた。

今では、あからさまに差別をされることはないけれど、男たちは未だに、まるで肉切れを見るような眼で私を見る。

私にはゴールがあったから、それに向かって行き、ずっとそうしてきました。
http://www.youtube.com/watch?v=haQz9dCoZ3E&feature=related
Youtube Mallaikka


アンジェリーク・キジョーは1960年生まれで50歳くらいなので、現在はその頃と比べると、女性アーティストに対する差別はそこまで酷くはないかもしれませんが、アンジェリークが熱く語っていたので、アフリカのこと、音楽のこと、理解するヒントになったらいいな、と思ってBBCのインタビューを聞き取って翻訳してみました。。。

私は、特にファンではないのですが、ワールドカップのときの映像を見ると凛としてかっこいい人ですね。自分で訳して言うのもなんですが、そういうバックグラウンドを知ってから聞くと、さらにステキに見えます

この放送が行われたころ、アンジェリークは、ワールド・フェスティバル・オブ・ブラック・アーツ・アンド・カルチャーでセネガルに滞在していたそう。ギニアにドップリの私からすると、そういうイベントをやっているセネガルがますます輝いて見えます。。。もちろんギニアも好きだけど。
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満員御礼!

2010/10/24 16:39
11月7日に予定している、ソロさんのワークですが、18名の方々から予約をいただきましたので、募集は締め切らせていただくことになりました。
自分でも「まさか!」の展開でした。東京では、昨今、「参加者がたくさんいるジェンベワーク」自体が珍しいことになっていますので、そんな中で快挙、と思います。自画自賛ムードです。
もちろん、ソロさんのチカラですが。

今回は、まず、ソロさんに、ギャランティーの金額を伝えたので、「たとえ身銭を切ることになっても後悔しない内容にする」と密かに決意していました。そこで、ダンスも加えたのですが、自分の企画に「面白そう」と興味を持ってくれた人が多かったようで、とっても嬉しいです。アーティストのお手伝いをするときに、いつも試行錯誤していますが、いろいろやってみるものだと思います。(だんだん、当たるようになるのかなぁ)

「え〜、参加したかったのに、残念!」という方は、現在長野で行われているソロさんとクレアさんののキャンプをチェックしてみてください。
こちらでチラシがみれます。
http://www1.ttcn.ne.jp/Djembe/1_solo2010.htm

11月21日(日)には、しゅうくんが、東京の竹ノ塚でワークをやる予定です。
詳しいことがわかったら、私のほうからもご案内するようにします。
午後の時間帯になると思いますので、こちらもお楽しみに!

今回、友人のデザイナーに協力してもらって、生まれて初めてのチラシづくりに挑みました。
イラストレーターを使い、裏と表の原稿を用意。こちらに載せたデザインです。
200枚依頼しました。

http://www1.ttcn.ne.jp/Djembe/Solo2010_Nov7_Work.html

う〜ん。実は、そのチラシは、先週末に注文したので、まだ私の手元には届いておらず、まく必要もなくなってしまいました!
喜んでいいのか、悲しんでいいのか。。。ちょっと複雑。。。。
今回は、将来チラシを作るときに向けての勉強、という感じもあったのですが。
ワークにきてくれた人には、記念に配ろうと思っております(笑)。
要らないかもしれませんが、とりあえず受け取ってくらはい。。

今回、うまく行ったら、また企画したいと思います。
だんだん、マリンケの神髄に迫る、難しい楽曲にも挑戦できるようになると良いな〜と思っています。

早々と申し込んでくださったみなさん、ありがとうございました。
みなさんにお会いできるのを楽しみにしています。
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7月3日に野口体操のワークがあります。太鼓もちょっとあります。

2010/06/14 02:02

こんにちは!新井英夫さんを講師にお迎えして、自然界の動きをお手本に「余計な力を抜く」感覚を育てるユニークな体操、野口体操のワークショップを行うことになりました。新井さんは、初心者向けに、特別に三時間かけて、わかりやすく、楽しく、面白く、小道具を駆使して、優しく教えてくれます。野口体操のHPはこちらです。http://www.noguchi-taisou.jp/

「もしかしたら、体操のあとは、いい音が出るかもしれない?」という期待を込めて、体操の前後に太鼓もやります。まったく経験がない人でも、楽しめる内容です。(必要があれば少し手ほどきします)ワークというよりはセッションみたいな感じで楽しく遊べたらいいな、と思っているので、気軽にご参加ください。体操を教えてもらったあと、太鼓を叩くという動作までもが、とても心地よいものになったらサイコウです。太鼓はうまくならない可能性もありますが (^^ゞ、それでも野口体操を知って良かった、と思ってもらえると思います。

もちろん!ダンスをやってる人、特に何もやっていない人など、誰でも大歓迎です。

日にち: 2010年7月3日 (土曜日)
場所 : 板橋区仲町地域センター 地下一階 音楽練習室
(仲町地域センター住所:   東京都板橋区仲町20-5 電話:  03-3958-1101)
会場へのワークショップに関する問い合わせはご遠慮ください。
参加費: 2500円
プログラム:
13:00 - 13:45 太鼓叩きます
14:00 - 17:00 野口体操 (体操だけの参加も大歓迎です)
17:00- 希望者とともに、また太鼓叩きます。
- 定員がありますので、参加ご希望の方はメールか電話でご予約ください。
- 動きやすい服装をご用意ください。(着替える場所はあります)
- 太鼓レンタルは1000円です(要予約)
- その他の楽器 (フトコロ具合によっては手拍子)で参加しても構いません。
問い合わせ 石田 恵子
080-6772-5551 keiko.ishida(アットマーク)mx7.ttcn.ne.jp
HP: http://www1.ttcn.ne.jp/Djembe/index.htm

◇ 新井英夫 プロフィール
1966年埼玉県生まれ。87年総合的身体表現グループ「電気曲馬団」を創立、主宰。 89年より故野口三千三師より、体操を通じた自然哲学ともいえる野口体操を学び、身体表現創造に大きな影響を受ける。 96年より、自身の創作ダンスユニットとして、DANCE-LABO KARADAKARAを創立、主宰。体奏家・ダンスアーティストとして、ソロ公演、国内外アーティストとのダンス公演。 さらに近年では、さまざまな音楽家、映像作家とのコラボレーションも行い、独自の身体表現創造活動を展開させている。 他にも、自身の表現活動と平行し、幼稚園、高校、大学などの教育現場や、市民参加型事業での身体ワークショップ指導を継続展開中。
http://blog.goo.ne.jp/karadakara

◇ 最後に。。。
野口体操のホームページを見ると、「あらゆる場における『しなやかな生き方』に通じる基礎・基本的な感覚が養われます」とあります。太鼓を「気合を入れて」「頑張って」いるうちは、なかなか辿りつけない境地かもしれません。でも、心と身体がしなやかな方が、心地よい音が鳴ります。太鼓に関わっていると、いろいろなトビラが現れるのだと思っています。今回のワークが皆さんにとってステキなトビラになってくれたら嬉しいです。

今年、コンタクト・インプロビゼーションというダンスのワークショップで、新井さんから野口体操を教わりました。新井さんが、アーティストとして駆け出しのころ、いろいろな人から「野口体操」の手ほどきを受けたけれど、しっくりこないと感じて、調べてみたら創始者の野口三千三さん(1914−1998)がご存命だと知り、教室に通うようになり、人づてに知った野口体操とご本人が教えることが全く違っていると感じ、その後、野口先生から直接学ばれてきたそうです。新井さんからは探究心、向上心が感じられて、きっと野口先生が教えたかったことを真摯に伝えようとされているのだと感じました。今回ワークショップの話をもちかけたところ、快諾してくださいました。

新井さんから教わった、気持ちいい動きをみんなに教えてあげたいと思いましたが、せっかくの体操を歪曲していることに気がついて(笑)、新井さんにお願いすることにしました。

この企画をどうぞお見逃しなく!

石田 恵子
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Wofabe Day 3

2010/04/05 00:18
本日は二コマありました。明日は仕事で早いので、簡単に。

一コマ目は参加者がかなり少なかったのですが、女子二名のスタッフがドゥンドゥンダンスを習うことになりました。「モコからは ジェンベクラスって聞いてきたんだけどな」と言いつつ教えていただきました。曲はソコとシンテとコレジュガの復習。ジェンベのソロフレーズはなくて、ドゥンドゥンダンスが中心のワークとなりました。ドゥンドゥンに座るのも振り付けで、女子二名を中心に、楽しみました。

ふたコマ目はドゥンドゥンダンスで一人参加があったので、ドゥンドゥンダンスとジェンベのソロを同時進行で習い
ました。ニューヨークではいつもこのスタイルでやっている、ということでしたが、ソロとドゥンドゥンダンスを同時進行で教えるなんて、曲芸みたいです。そしてアレンジもとてもステキでした。曲は生徒さんのリクエストのティリバ。ブレークの出し方やソロのニュアンスをしっかり教えてもらい、ティリバらしさが出ました。

今日も少しではありましたが、ソロフレーズに合わせて、踊ってくれました。生徒の月光くんの前で舞ってくれて、それはそれは、ステキでした。
「ベンバ先生!月光君はこの日を一生忘れませんよ!」と英語で言いました。実は本人はそんなこと言ってなかったので、月光君に「一生忘れないよね!」と確認したら、ウンって言ってました。(通訳のくせに若干、捏造してしまいました)

カサは、時間がなかったので、短かったのですが、とてもステージ映えしそうなアレンジで、「見応えのあるものを作る」ということに関して、最高レベルの先生だと思います。教え方のうまさやテクニックももちろん最高レベルですが。

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Wofabe Day 2

2010/04/04 13:58
昨日もお手伝いに行ってきました。夕方、ドラムが二クラスでしたが、助っ人で東曜くんも参加してくれました!

一クラス目はンファカバという曲。クルサ地方のバローという村の曲で、ドゥンドゥンパターンが長くてキレイな曲を教わりました。ノリの良いソロフレーズが中心でした。ベンバ先生は、みんながソロフレーズをある程度理解すると、ドゥンドゥンを叩いてくれて(超、かっこいいです)じっとみんなを見守ってくれます。

ベンバ先生は、ドゥンドゥンを叩くときにサンバン奏者をじっと見つめる癖があり(サンバンとドゥンドゥンの絡みがキレイな曲の場合)、私は一日目にかなり見つめ合って照れくさかったのですが、昨日は東曜くんとかなり見つめあっていました。

ニコマ目はランバ。
一コマ目から続きで出てる人も何人かいたので、先生から「何の曲をやろうか?」との問いかけがありました。先生の出身地の曲では?ということで、ソファとかカサかな〜、とベンバ先生が言ったのですが、誰かがランバ!と言い、ランバに決定。

もともとは、ジェンベ一台、ドゥンドゥン一台、バラフォン一台で演奏されてたんだよ、という説明のあとで、ジェンベアンサンブルを教えてくれました。

実は、ベンバ先生がドゥンドゥンを叩き始めたときに、自分の中ではランバを踊るおばちゃんの映像がくっきり見えて、ちょっと泣きそうになりました、が、ここで泣いてると変な人すぎるだろう、と思い、我慢。

今回のクラスでは、ソロを「焦らない」「ドゥンドゥンを追いこさない」ということを何度も注意されました。先生がアンサンブルのカギとなるドゥンドゥンをずっと叩いてくれたのですが、「曲の雰囲気を伝えたい」と思われていたようです。

けっこう長いソロパターンを教わったのですが、最後に、このソロはこのフリと合ってるんだよ、とクネクネっと踊ってくれました。ほんとに女の人が踊っているような感じで、先生、ステキすぎです。ダンス、一回見ただけでは、覚えられないのが残念です。ソロフレーズも覚えちゃいないんですけどね(私はケンケニ担当でした)。ドゥンドゥンのバリエーションのパターンを習うところまでは行かず、先生の引き出しが少しあいて、中に詰まっている財宝が一部見えた感じでしょうか。

先生はまだしばらく日本に居ますので、是非是非ご参加ください。


(いつも言っていますが、太鼓を叩く合間に撮っているので、あまり良い写真でなくてごめんなさい。みんなの顔が怖いのは集中しているから、です)


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ベンバ・バングーラ ワークショップ速報! ラッキーな三人

2010/04/03 16:20
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SweetAfroHarmony 昨日から、Wofabe が始まりました。
私は今回通訳としてお手伝いするということで、ベンバさんのドラムワークに行ってきました。

教えてくれたのは、コレジュガで時間が余ったのでドゥンドゥンバのソロも教わりました。参加者が三人、と少なかったので、ドゥンドゥンパートも一人一個でしっかり習うことができました。

(写真は真剣に習う三人。写真はとれませんでしたが、笑顔もはじけてました)

先生はとても落ち着いていて、ワークの出だしで、「何を期待して習いに来たのかな?」と生徒さんに聞いていました (そんな先生はじめて!) 生徒さんの一人は、「ジェンベの音色です」と答えていました。

コレジュガでは、ジェンベのアコンパと、ソロとドゥンドゥンを習いました。ドゥンドゥンのバリエーションは習いませんでしたが、先生がたっぷりご披露してくれました。めちゃめちゃかっこいい。録音できた人!ラッキーよ!

ジェンベは、こうゆう叩き方しちゃだめだからね、叩きつけるような感じで、叩いて見せてくれました。叩き方は「小さい時に、誰にも教わらずに自分で身につけた」ということでした。手のカタチもあたる場所もまったく変えずに音色を変えます。「叩き方はみんな違うから」ということでした

アフリカンなどは独特のタメがグルーブを生み出しますが、それって外国語の発音のようなものだと思います。日本人が英語を話すと、なんとなくナマリでネイティブではないと、バレますよね。なので、是非、ホンモノの先生からアフリカのリズムを習ってください。ジェンベだけではなく全ての音が正しく発音されます。

ドゥンドゥンを叩きながら、ちょっとダンス的な動きをしてくれたりすると、視覚からもそのリズムの雰囲気が伝わってきて、とてもステキです。参加する人たちみんなで、楽しい雰囲気を作って、先生の引き出しをたくさん開けたいですね。

情熱とあたたかさと喜びにあふれる、繊細な太鼓を叩くベンバ先生のクラスを是非体験してくださいね!

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Seattle and Calgary in Aug and Sept 2010 Part I

2010/02/12 00:41

I went to Calgary, Canada on my assignment and visited Seattle last year. I met old friends, made new friends and had a great time.

The Rocky Mountains were so magnificent!

去年仕事で行ったカルガリー。旧交を温めて、新しい出会いもあって、ステキな時間を過ごしました。日本では、特に最近は、あまり出歩いておらず、一年分まとめて遊んできた感があります。壮大で美しかったロッキーマウンテンの写真から。


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A tram station. 市電の駅

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I love seeing squirrels and rabbits in the city. We see cats on the street instead of rabbits.

街中にリスがいます。ウサギも普通に居てびっくりしました!

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I learned that Nori was in Calgary just before I left. We used to learn djembe from the same teacher. We met up and played in the park in the center of Calgary. Many people stopped by, including his friend in the picture and policemen.

出発の直前に、以前同じ先生から ジェンベを習っていたノリが、偶然にもカルガリーにいることを聞きつけて現地で再会しました。太鼓を借してもらって、夕方、カルガリーの公園で二人で演奏。たくさんの人が足を止めてくれて、通りかかったノリの友人も太鼓を叩きました(写真の人)。お巡りさんはかなり険しい表情で私たちを見ていたけど、おとがめなし。外国の街で太鼓を叩いたのは初めてで、メチャメチャいい思い出になりました。


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Town of Calgary カルガリー市内


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A black and white bird. They look beautiful when they fly, as well.

日本のカラスみたいに、街でよく見かけた鳥。ツートンカラーのおしゃれさんで、飛んでる姿もキレイです。


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Can you find a rabbit? ウサちゃんが写ってるのわかる?

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I saw people playing music and dancing on the street on my way to the hotel. It seemed like they were celebrating the end of a theatrical performance. It was good to watch professional artists having fun.

帰り道でたまたま路上ディスコをやってました。どうも、劇場の公演が終わったのをオープンな感じでお祝いしてたみたい。お姉マンたちって、外国人でも一目でそれとわかりますね〜。みんな、かっこ良く踊ったよ。

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This is the Stonemasonry section in the WorldSkills Competition. Children were trying to curve stones. I had a go, but only left untidy scratches on the stone.
仕事場だった技能五輪の会場。担当は石工でした。子供たちが体験できる場所もありました。私も試してみたけど、へんてこな引っかき傷を残しただけでした。

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A piece curved by a champion from Switzerland.
優勝したスイスの男の子が作成した作品の一部。

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The closing ceremony. With many performers, it was like a rock concert.
最後の日に行われた閉会式。ショウアップされていて、すごく盛り上がりました。

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People were trying to shoot a winter scene. It is what the town should look like in winter.
冬のシーンを撮影してたみたいです。冬の雰囲気も味わえて、得しました

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African dance class in Calgary
カルガリーのダンスクラス。

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My friend, Frank, introduced me to Trudy and Andy, female drummers.
A Cuban drummer, Jamaican dancer and a Senegalese drummer were playing, too.
We told the Jamaican dancer about the rhythm Yankadi, and he immediately started to strategize how he would try to get a girl he wants.

友達のフランクのツテで、カルガリーで太鼓をやってる女性ドラマーのトゥルーディとアンディのいるダンスクラスに参加。キューバ人とセネガル人のドラマーとジャマイカ人ダンサーも居て、楽しいひととき。ジャマイカの人はロンドンでダンスを勉強してたんだとか。ヤンカディのダンスパーティのこと教えてあげたら(日本の合コンみたいなもの?)、「好きな女の子に渡すスカーフは、すごくいい匂いを染み込ませて」、と早速スケベ顔でシミュレーションしてました。(その話が出るまでは爽やかな好青年だったのに。。。)

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This is how people set up a set of dununs. (Kenkeni is missing in the picture)
ドゥヌンを三つ並べて台に引っかけていました。日本では見かけない設定。

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To be continued 後半に続きます。

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Part II Seattle and Calgary in Aug and Sept 2010

2010/02/12 00:35

This is Frank's ant's home in Seattle. I stayed in this house.
ここからは、カルガリーでの仕事が終わってから立ち寄ったシアトルです。写真はフランクのおばさんのお家。こちらにお世話になりました。

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Frank and I moved to San Juan island where Frank was going to give a dance class. He took me to one the most scenic places in the region. It was beautiful. I saw a seal and dolphins too.

地下鉄、バスなどを幾つも乗り継いで、フランクがダンスクラスをやることになっているサンホアン島に移動。フランクによれば、この一帯では一番風光明媚なところだそう。海水がとても澄んでいて、アザラシやイルカを見ました。もちろん景色もサイコウ!

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Beau, who was going to organize Frank's dance class, took us to a party at a house of a superintendent of the national park. It sure was a scenic spot.

この日の夜はフランクのクラスをオーガナイズすることになっているボーという人に連れられて、公園の管理人の女性の家のパーティへ。ご覧の通り、文句のつけどころのない絶景ポイントです。

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A garden view of Beau's mother's house. I was so lucky to stay in such a cozy house in a beautiful location.
お世話になったボーのお母さんのお家の庭。日頃の自分の環境と比べて「異次元空間」的!

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Their dog, Trey, was the sweetest thing. She pushes a ball against me and asks me to play with her. The ball was wet with dribbles but how could I say no to her?
ボーのお家の犬のトレイ。ボールで遊ぼうって寄ってきてカワイイ。ボールはよだれにまみれて濡れているけど、断るなんてムリ。。。

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I went out for a walk with Tray in the morning. She walked with me without a lead. Beau's mother told me to call her when she wondered off. I called her but she did not turn up. I tried whistling - I barely made a sound but she dashed back to me. We became good friends and I still miss her.

トレイと朝のお散歩。鎖はなくても大丈夫。賢い子だ。ボーのお母さんからは、ちょっと道を外れて姿が見えなくなっても呼べばすぐ来るわよ、と言われていたけど、名前を呼んでも来ない。仕方なく不得意な口笛を吹いてみた。かすれてほとんど音はしなかったけど、トレイは飛び跳ねながら大急ぎで帰ってきてくれた。今でももう一度あの子に会いたいな、って思う。

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Breakfast garnished with berries just harvested from the garden. What more could you ask for?
庭で取れたばかりのブルーベリーと木いちごをのせて、朝食のシリアルをいただく。なんという贅沢。

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Frank's dance class had many people and went successfully. It was the first time to see him teaching and he was a good teacher. One day, I want to organize his class in Japan.
We went back to Linda's house (Frank's aunt). She keeps three cats and I took photos of the two.
フランクのクラスは、たくさんの参加者が来てくれて、大成功に終わりました。フランクはとってもいい先生で、いつか日本に呼べたらなって思います。
サンホアン島からリンダさん(フランクのおばさん)のおうちに戻ってきました。猫が三匹いるのですが、二匹の写真を撮りました。

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Enjoyed Ghanaean live music in a restaurant.
ガーナの音楽をレストランで楽しむ

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A beautiful, yoga-taste studio.
ヨガの雰囲気たっぷりのステキなスタジオ。うらやましい。

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We went to a dance class as support drummers. I met Tayler - a talented musician I met in Guinea. It was great to play the drum side by side after many years. We never imagined that we would be playing the drum like that.
フランクに連れられて、ダンスクラスのサポートドラマーをしました。ギニアで一緒にワークを受けたことがあり、才能溢れるミュージシャンのタイラーと再会。隣で太鼓を叩けて、楽しかった。まさか、再会して一緒に太鼓を叩く日が来るなんて想像もしなかった。

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We went to Tayler’s place afterwards, and he played cola for us beautifully. His cat likes to play with rubber bands. She is so cute.
タイラーの家に立ち寄って、美しいコラの演奏を聞かせてもらう。タイラーの猫ちゃんは輪ゴムが大好きで、人懐こくて、超かわいい。



The last photo is Frank and Tayler
最後の写真はフランクとタイラー。


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Frank is a friend I met in Guinee. Thanks to his generosity, I had so many memorable moments in the trip that I cannot write them all. From time to time, drums give me a hard time, but if I did not play the drum, I would not have had such a great time. So I should thank my drums. I would also like to thank all of my new friends who were very kind, and I would like to specially thank Angie(Frank’s mother), Linda and Frank for being so caring. If not for them, I would not have had such a great time. Thank you

フランクは、ギニアのワークショップに参加したときに知り合った友達です。いろいろな国のレストランの料理を食べたり、ドラムサークルに遊びに行ったり、フランクのおかげで、ここには書ききれないほど、たくさんの美しい貴重な体験ができました。すべては、太鼓があったからこそ。太鼓に感謝しとかないとね。親切にしてくれた新しい友人たちにも感謝します。アンジー(フランクのお母さん)とリンダとフランクには本当にお世話になりました。あなたがたなしに、こんなに素晴らしい体験はできませんでした。ありがとう


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